大本さんの「このはな桜観桜会」の時です。
桜を見に主人と植物園の中へ。
「これって 山吹の花?」
「山吹の花って八重や無かった?」
「でも葉は山吹みたい」
「大田道灌の山吹の話があるやろ?」
「そやね~じゃ~調べてみるわ」
道端でスマホから大田道灌を検索しました。
ある日鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
- 『七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき』
「やっぱり違うね。山吹の花は普通八重やから」 と言いながら
傍に植物園を管理されている方がいらっしゃって聞いてみました。
「普通は八重ですがこれも山吹ですよ。一重はめずらしいです」
「ああそうなんですか?大田道灌の歌に・・・」
「今度はお宅が一重の山吹の歌を詠ってくださいな」
「それは無理です~笑」
花を愛で 仕舞いを観て お琴を聴き 立礼式のお茶席にて抹茶を頂き
ちょっと道灌の話も思い出しました。
大本さんは何時行っても 「古きよき時代の自然の叡智」 を感じます。
「一重の山吹は黒い実がなるが、八重には実がつかない」 とありました。