2013年6月14日金曜日

一重の山吹の花

4月

大本さんの「このはな桜観桜会」の時です。

桜を見に主人と植物園の中へ。







「これって 山吹の花?」

「山吹の花って八重や無かった?」

「でも葉は山吹みたい」

「大田道灌の山吹の話があるやろ?」

「そやね~じゃ~調べてみるわ」


道端でスマホから大田道灌を検索しました。



ある日鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。

その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
    『七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき』
という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます




       

「やっぱり違うね。山吹の花は普通八重やから」 と言いながら

傍に植物園を管理されている方がいらっしゃって聞いてみました。

「普通は八重ですがこれも山吹ですよ。一重はめずらしいです」

「ああそうなんですか?大田道灌の歌に・・・」

「今度はお宅が一重の山吹の歌を詠ってくださいな」

「それは無理です~笑」





花を愛で 仕舞いを観て お琴を聴き 立礼式のお茶席にて抹茶を頂き
ちょっと道灌の話も思い出しました。
大本さんは何時行っても 「古きよき時代の自然の叡智」 を感じます。






「一重の山吹は黒い実がなるが、八重には実がつかない」 とありました。










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